[PR] 倉庫 東海道線通勤日誌-season2- 自由な僕に乾杯さ
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2006.05.28 (Sun)

自由な僕に乾杯さ

昨日今日と2週間ぶりの休日でございました。
珍しく連休がとれてよかったです。
土曜日は子供の父兄参観などに出席して、
わが子ながら情けなくなり。
でもまぁ、わが子が故にかわいくもあって。
なかなか複雑な心境を久々に味わいました。
しかし、わが子が故に責任もあるわけで、
それは放棄できない、一番重いものなのかなとも思って。
自分自身、再び、気合を入れなおした週末・・・でした。


んで、表題の件。
puffyの曲ってどうでもいいんです、正直。
あってもなくてもいいんだけれども、
たま~に、どきっとするようなフレーズが流れてくるから怖いわけで。

"nice"ってアルバムに"sayonara"って曲があるんですよね。
なんとな~く、バスケでもしようと公園に向かう車の中で、
この曲が流れてて、ものすごく、胸に突き刺さりました。


"自分探しなんてもうやめろ 無駄だ"


ほんと、これほど無駄なことなんてなかったな・・・って、思うわたしがいました。
就職活動で失敗して、ぶらぶらしてた大学5年生の頃。
本当の自分は違うだなんて思って、ソフィーの世界なんて本を読んだりしてました。
今思うと、ほんとに恥ずかしい限り・・・なんですけどね。

でも、なんてのかな。
ソフィーの世界は哲学書だったと、今は思うんだけれど、
哲学とか深いことを考えなくっても、
今ある自分をそのまま受け入れる勇気みたいなものがあれば、
哲学とか心理学とかって、ほんとは必要の無いものだなーって思ったり。

一時期引きこもったりしていたわたしですけど、なんかいろいろと社会に触れていくうちに、
そのままでいいんだ、って思えたことが、今わたしがここに居る理由だったりします。

だいたい他人に必要とされる理由だなんてあるんだかないんだかわかりゃしませんし。
わたしは子供から今のところ必要とされる存在でしょうけれど、
だからといって、わたしがそれについて無条件に受け入れる必要も無いわけで。
んじゃ、何故わたしが、"父親"の役を受け入れているかというと、
それがあるがままのわたしの姿でもあるからだと思うんですよね。
そこに疑問を抱く人もきっといるんだろうけれど、
でも、父親じゃない違う自分なんて、どこにもいませんっと断言。

人はいろいろな仮面をかぶって生きていくのでしょうけれど、
ただその仮面自体はどれもきっと真実の仮面だとわたしは思うんですよね。
だから。


"自分探しなんてもうやめろ 無駄だ"


ってところに、シンパシーを感じるんだと思います。

夕暮れ時のバスケのリングに、ひたすら無心でシュートを沈めながら、
ぼんやりとそんなことを考えていました。
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